教授の対談2
こんばんは
前回の投稿から随分と間が空いてしまい、申し訳ないです・・・
忘れていたわけではありませんが(笑)、なにか言い訳するつもりもありません(笑)
では、続きをお届けします
▼吉祥寺駅の由来
高:吉祥寺駅って本当は中央線と五日市街道の交わるところにできるはずだったんだけど、昔は蒸気機関車だから火の粉を出すでしょ。それで嫌がられてたのを、月窓寺が引き受けたんだ。だからあの辺からサンロードまでと、駅を突きぬけてマルイまでは月窓寺の土地。
見:月窓寺の土地、すごいですよね。
高:まぁ税金払うのは大変だから、寺に寄進したりして税金を免れてると思うけどね。
見:それであんな(立地の)良い場所にお寺があると。
高:そうそう。
記者:吉祥寺は4つの寺が集まる街だったそうですね。
高:四軒寺か。その中に吉祥寺はないんだよな。
見:駒込にあるんですよね。
高:そっちが本家で。
見:吉祥寺って名前がいいですよね。
高:うん。吉祥天だもん。よく知られてる都市伝説は、恋人同士で井の頭公園のボートに乗ると別れるっていう…
見:それは弁財天ですよ。弁天様は女性なので、カップルを見るとやきもちを妬いて別れさせるんですよ。この都市伝説は僕が大学生のころからありますね。
記者:1653年に玉川上水が開通。4年後の明暦の大火で吉祥寺は消失して、駒込に移転しました。もともと門前町に住んでた人が移り住んできて、思い入れのある吉祥寺という名前を付けたんですね。
高:移住政策だよね。
見:そう考えると、吉祥寺って名前は400年選手ですね。
▼コミュニティの意義
高:武蔵野市は戦後に町内会が復活しなかったのが特徴で、その分コミュニティセンターを作ったんだ。
見:成蹊の佐藤先生が中心となってコミュニティセンター構想をね。
高:1971年の長期計画のときにコミュニティ構想もできたんだけど、当時は過密過疎・東京砂漠と言われてて、新しいふるさとを作らないとみんながバラバラになってしまうってね。それで多目的に使える集会施設を作った。町内会は縦の組織だけど、コミセンは横の関係だから。
見:だから町内会とコミセンは相容れない。
高:町内会を持ちあげる人もいるんだけど俺は反対で、コミセンだろうなと思ってる。
▼今年は大きな転換点
見:やっぱり今年は吉祥寺にとって大きな転換期ですよね。ロンロンと伊勢丹、ユザワヤがしまって。
高:商工会議所は新しい取り組みをやろうとしてる。
見:伊勢丹跡地はショッピングモールになるみたいです。
高:うまくいくかわからないけど(笑)
見:アトレは今年中、伊勢丹跡地は秋に再オープンするね。
高:駅のエレベーターも工事してるな。
見:それらが出揃った時にお客さんはまた戻ってきてくれるのか。それとも一度逃げてしまったお客さんはもう帰ってこないのか(笑)
今回はここまで
次回で完結しますっ
≪略歴≫
●高田昭彦教授・・・1947年、倉敷市生まれ。72年、東京大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。76年、文学部文化学科専任講師、1986年より教授。担当講義は現代社会論、環境社会学、NPOの社会学など。
●見城武秀准教授・・・1965年、群馬県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程中途退学。96年に本学に就任。担当講義はコミュニケーション論、メディア・リテラシー実習など。